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「南国土佐を後にして」

 先日亡くなったペギー葉山が歌った「南国土佐を後にして」がヒットしたのは

昭和34年だった。1959年。

「都に来てから幾年(いくとせ)そ」という歌詞は、都会に出た地方出身者の望郷を

唄ったこの時代のヒット曲の特徴をよく表している。

はりまや橋で坊さん、かんざし買うを見た」というサビに、土佐を知らない

当時小学生だったわたしも、胸がキュンとなった。

三橋美智也の「りんご村から」(1956)や春日八郎の「別れの一本杉」(1955)も、

歌詞は地方の目線で書かれているが、実は都会から地方を振り返った歌だった。

しかし、「南国土佐を後にして」には明るさと清潔感があり、なじんだ都会から

地方を見た歌だった。歌手が民謡出身の三橋や春日と違い、ポップスを歌う

ペギー葉山だったせいもあるが、高度成長期にあって、日本人の軸足

地方から都会へと移っていったせいでもあったのかと、今になって思う。

 「南国土佐を後にして」は大ヒットして、映画になった。

日活が小林旭主演で撮って、ヒットした。

前科のある小林がどこへ行っても就職を断られ苦労する

というストーリーがいかにも昭和の世相を思わせた。

知らなかったが、日活が小林旭の「渡り鳥シリーズ」を

作ったのはこの映画が契機だったのだとか。

函館、佐渡、鹿児島など地方の町を舞台に、ギターを持った

「流れ者」が悪をくじき美女に惚れられまた去っていくという

ヒーローものだった。

小林旭が輝いていた。

定職を求める地元出身者から、地元に根のない「流れ者」へと

変わった背景には、西部劇「シェーン」の日活版を作ろうという

狙いがあったはずだ。主人公がわずかな接点でしか地元と

触れ合えずまた土地を去るという設定が、当時の映画ファンを

魅了したのだろう。

(小学生のわたしは夢中になって見に行ったが、

今となってはなつかしさよりも気恥ずかしさが先に立つ。)

 昭和34年を振り返ると、いろいろな出来事があった年だ。

王、長嶋が活躍し、皇太子のご成婚に日本中が湧き、南極の昭和基地

生きていたタロー、ジローに感激した。

わたしにとって忘れられないのは、「少年サンデー」「少年マガジン」が

創刊したことだ。本屋に二冊を買いに行き、なにか誇らしい気持ちで

手にしたことを覚えている。

「海の王子」(藤子不二雄)や「スポーツマン金太郎」(寺田ヒロオ)といった

連載漫画がなつかしい。

定価は30円だった。